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(c)安野 光雅
  みどころ  
 

西暦710年に平城京として都が拓かれた「奈良」、784年に都が長岡京に移るま での74年間、日本の文化、政治、経済の中心地として栄えたことは勿論ですが、後世 に残したものは21世紀になった今もその面影が綿々と伝えられています。  今回はそんな中から「どうして?」を連発しながら奈良の歴史を見聞する渡辺文雄さ んの旅です。

 



 
 
平城宮跡


都の中心今で言う皇居の跡地、たんぼや畑だった所に発掘された120へクタール、甲子園の約30倍という広大な平城宮跡。大阪から奈良に向かう時に奈良の手前にその石碑が見えますが、その広さに当時の天皇の威光の大きさを偲ぶ事が出来ます。
     
 
 


四万枚の木簡


平城京の一角に長屋王という親王、今で言う総理大臣の屋敷跡から発見された木簡。日々の記録が書かれたもので奈良時代の生活を知ることが出来ます。食通の渡辺さんがその中から見つけたのは食物の記録。今で言うチーズ、鮑、海老などを食べた記録や鶴を飼育していた記録と並んで、犬にお米をえさにしていた記述まであってその権力の大きさが知れます。

 

 

 

 
         
 


朱雀門

平城宮太極殿の真南にある正門がこの朱雀門。平成10年2月に9年がかりで復元されたもので、東大寺の南大門とほぼ同じ大きさといわれています。高さ22メートル、間口25メートル、奥行10メートルのこの門、当然のことながら誰も見たこともなく図面もない訳ですから、どうやって復元したのか大き な疑問です。出てきたのは柱の跡の穴と柱を支えた基礎、これを基に出来上がった朱雀門の謎・・詳しくは何時ものように放送で。

 


 
         
 
元興寺

538年に仏教が伝わって来て50年後、明日香に日本最初の寺として建立されたのが飛鳥寺。その後平城京が出来てそこに移築され、元興寺となったものです。飛鳥寺の面影を残すものとして当時の瓦が本堂の屋根に使われています。他にも色々ととても古いものが出てきました。「巻斗」という梁を支える部材が昨年発見されたのですが、ヒノキのこの材料年代を鑑定した結果、なんと582年頃に伐採された物と分かったそうです。つまり法隆寺の100年前の建材だったのです!「どうしてそんなことが分かったのか・・」
   
         
 


元興寺文化財研究所

元興寺が独自に持っている研究所で特に古文書の修復技術で知られています。写真でご覧のように「どうやって?」「ここ迄できてしまうの?」と渡辺さんが連発したその技術の見事さに唯々驚くばかりです。その方法は画面で見て頂くのが・・・  (上写真:修理前  下写真:修理後)

 

 

 
         
 
朱墨

習字の時間に先生が添削に使う朱文字の、あの墨でお馴染みのものですが同じ原料からは朱肉も作られます。朱は王朝時代には金、銀と並んで重宝がられ 、下って豊臣秀吉が南蛮貿易で使った朱印状にもこの朱が使われたように、上流社会の貴重品でした。庶民が朱を使うようになったのは明治になってからのことだそうです。奈良でたった一軒、朱墨を造る明治5年創業現在六代目という木下さんに「朱」の「どうして?」をうかがいます。
 

 

 
     

 

 
  背丹よしは奈良の枕詞そして丹は朱のこと、雅びな朱から見えた奈良、1300年 もの昔がすぐそこにある奈良・・奈良独特のもの、奈良の空気に触れた、そんなこんな の1300年前にタイムスリップの旅です。      
         
 

 
 
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