ほぼ1年ぶりの登場となる仁科亜季子さん、今回は大分県の旅です。温泉の町・別府から、山間の町・安心院(あじむ)へ。 別府といえば有名な観光地ですから「遠くへ行きたい」でも過去に何度も訪れていますが、今回は「裏通りを歩こう」をキーワードに、いわゆる観光名所ではない、温泉町特有の生活の工夫が感じられる場所を訪ねます。
湯煙の上がる別府温泉と別府湾です。
入湯貸間(にゅうとうかしま) 江戸時代から湯治場として賑わってきた別府八湯(はっとう)の1つ、鉄輪(かんなわ)温泉。ここに、古くから「入湯貸間」という独特のスタイルで経営されている宿があります。聞き慣れない言葉ですが、かしま、とは文字どおり部屋を貸すだけで、賄いの付かない温泉宿。自分で炊事し、布団を敷くのです。 この宿がユニークなのは、温泉の噴気を利用した共同の炊事場があること。「地獄釜」という鍋1個分くらいの大きさの釜が約20個並んでいます。100度近い温泉の蒸気が引いてあるので、野菜や魚貝類なら10〜20分、米なら1時間で炊き上がるのです。温泉の成分が食材に入るので味がまろやかになり、米はふっくら炊き上がるのだそうです。 また、さまざまな宿泊客が滞在していることも入湯貸間の楽しみの1つ。撮影で訪れたときも、炊事場でいかにも「住んでいます」という風情のジャージ姿のおじさんが米を炊いていました。湯治で1ヶ月以上長期滞在する人や外国人観光客もいるそうなので、炊事場で一緒になったら話しかけてみると旅の世界が広がるかもしれませんね。
聴潮閣 高橋記念館 さて入湯貸間で別府の生活を垣間見た後は、観光地・別府の足跡を訪ねてみます。別府は江戸時代から湯治場として賑ったことは既に書きましたが、日豊本線開通後、大正から昭和初期にかけては大型客船が入港し、外国人観光客も大勢訪れる国際的な観光都市だったのだそうです。その名残で市内には今も大正ロマンを感じさせるレトロな煉瓦造りの洋館や、和洋折衷の建物が残っていますが、老朽化が進んで建て替えや取り壊しに遭い、だんだんと数は減っているそうです。そんな別府の歴史的風景を何とか残そうと、最近地元の方々が立ち上りNPOを作って頑張っておられますが、その代表格と言えるのが、この「聴潮閣 高橋記念館」です。 「聴潮閣(ちょうちょうかく)」とは、明治から昭和にかけて政治・経済の世界で活躍した高橋欽哉が昭和4年に建てた住居兼迎賓館。かつて海岸に建っていたからこのような名がついたといいます。洋風のモダンな応接間、総檜造りの和室という和洋折衷の建物で国の登録有形文化財にも指定されています。欽哉の孫である館長の高橋鴿子(はとこ)さんに、聴潮閣のこと、かつての観光都市・別府のことなどをお伺いします。
共同浴場・羽衣温泉 さて、再び別府温泉の裏通りを散策です。市内中心部を歩いていると、長屋のように住宅が立ち並ぶ路地の奥に、不思議な小屋を見付けました。入口には「羽衣温泉」の看板。ハゴロモ? 実はここ、町の名前を羽衣町といい、そこに住む29世帯の家々がお金を出し合って建てた共同浴場なのです。入口には「組合員外の入浴堅くお断り」の看板。中は風呂場と脱衣所が一緒になった簡易な温泉ですが、昭和23年に自分たちで源泉を掘って建てたと言いますから、住人の方々がいかにここを大切に手入れして守って来られたかが伝わってきます。 源泉は小屋のすぐ外にあり、蓋を開けて見せていただくと56度というお湯が湯気を立てていました。まだ電気湯沸器など無かった時代、住人の方々はこのお湯で洗濯をしたり茶碗を洗ったりしていたそうで(今もされているそうですが)、その生活の様子が目に浮かぶようです。
路地の奥にひっそりと建っています。 風呂場です。撮影していたら、近所のおじさんがステテコ姿で、小脇に木の風呂桶を持って入りに来られました(笑)
蒸気のボックスに膝まで入れて、ご満悦の仁科さん。無料なのはさすが別府!
湯の花 別府八湯の1つ、標高350mの高台にある明礬(みょうばん)温泉へ上りました。噴気の上がる谷間に、縄文時代の竪穴式住居のような茅葺き小屋が並びます。ここでは江戸時代半ばから280年間変わらない製法で「湯の花」が製造されてきました。「湯の花」とは温泉の噴気の成分を結晶化させて作る天然の入浴剤で、江戸時代には止血剤、染物や火薬の原料としても使われていたといいます。地下からの硫化ガスを青粘土と呼ばれる特殊な土と化学反応させて結晶にするという技法は先人たちの知恵と経験から生み出されたもので、世界でもここだけしかないそうです。先祖代々湯の花採取の職人さんという脇屋貴夫さんにお話をお伺いします。
竹製温泉冷却装置
別府温泉の源泉が地表に噴き出す時の温度は90度〜100度、とてもそのまま入れたものではありません。これをどうやって下げるか、長い間温泉経営者たちは頭を悩ませてきましたが、最近画期的な方法が開発されました。それは竹の枝を束ねたすだれを3段重ね、上から源泉をかけるというもの。たったこれだけのことで、100度のお湯が40度ちょっとに下がってしまうのだそうです! “源泉そのままのお湯を楽しんでもらいたい”という「ひょうたん温泉」の河野純一さんは、加水して温度を下げると温泉成分が薄まってしまうので、これが開発されるまで夜10時から10時間かけて浴槽に少しずつお湯を張ることで冷ましていたといいますから、これは大変な発明です。 ヒントになったのは瀬戸内海の流下式塩田の枝条架(しじょうか)という装置。海水を蒸発させて、塩分濃度の濃い海水を取り出すための道具ですが、いったいナゼこれで温度が下るのか?県と共同で装置を開発したという河野さんにお話を伺います。
鏝絵(こてえ)巡り さて、別府温泉を離れ、山間の町・安心院(あじむ)へやって来ました。 この町には明治時代に流行したという家の外壁の装飾・鏝絵(こてえ)が数多く残っています。 鏝絵とは、民家の壁や戸袋、土蔵の扉や妻飾りなどに左官がコテを使って漆喰で描いたもので、多くの場合、左官職人が仕事をさせてもらったお礼として、その家の幸せと繁栄を願って描いたものだと言います。安心院の鏝絵は、白漆喰の上に絵具で描くのではなく、漆喰そのものに岩料を混ぜて作った色漆喰を、壁の上に盛上げて描いていきます。だから絵に立体感と厚みがあり、また風雨にさらされても色落ちしません。実際町の中に100点も残っているという鏝絵はどれもパステルカラーのように本当に色鮮やかで、とても100年以上前のものとは思えません。 地元の観光ボランティア・上鶴嘉久さんに町内の鏝絵を案内していただきましたが、上鶴さんの口調には、鏝絵が好きで好きでたまらない、もっと多くの人に知ってもらいたい、という愛情が溢れています。
アフリカンサファリ 安心院の郊外に広がる、天間(あまま)高原。ここまで来ると別府とはかなりの標高差で温度もグッと下ります。その広大な土地に昭和51年にオープンしたのが、日本初のサファリパーク「アフリカンサファリ」。 ここの自慢は、なんと言ってもジャングルバス!様々な動物に自分でおやつをあげながら、動物の生態や習性について話を聞くことが出来るのです。番組ではライオン、アフリカ象、キリン、チーター、シマウマをご紹介しましたが、他にもシープ(羊)、エルク、クマ、バッファロー、ダチョウなどが見られ、1週すると約50分!かなり満足した気分になれます。 その他に世界中の猫が放し飼いになっている「キャットサロン」やカンガルーと触れ合える広場もありますが、極めつけはライオンの赤ちゃん、これが文句なくカワイイのです!とても文章では表現しきれないので百聞は一見にしかず、もうこれは番組で見てください!
広大なアフリカンサファリの山の尾根を、ライオンたちが一列になって帰ってゆく姿が夕日に照らされていました。別府の路地裏で温泉街の暮らしを垣間見、山間の町で動物たちとふれあった今回の旅。私たちも帰路につき、旅の終わりです。