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(c)安野 光雅
 

みどころ

 
         
 

今回の旅人・増田明美さんは、今でも毎朝必ず最低40分は走っていらっしゃるというのは、過去に何度かご紹介してきましたね。今回も例外ではなく、このロケ中にも毎朝早朝マラソンを敢行し、お付き合いしたADの私は初日に55分走って膝を傷め、あえなくリタイアとなりました。それはさて置き、増田さんはちょうど2月に今回の旅の出発点・山口県周防大島で開かれた「サザン・セト大島ロードレース大会」に参加して10キロの部を走ったばかりだったそうで、今回は2ヶ月ぶりの訪問。それならばと、撮影でも勝手知ったる島の中を走っていただきました。
というわけで、今回は瀬戸内海で3番目に大きい島、山口県周防大島を出発点に、大畠瀬戸(おおばたけせと)の海峡を渡り、白壁の町並が美しい港町・柳井まで旅します。

 


周防大島の小松港を走る増田さん、走っていると顔が輝いていますね。

 
         
 

お大師さま法要ご接待

春も近づき、四国では有名なお遍路さんの八十八カ所巡礼が始まりましたが、実はこの周防大島にも同じ風習があるのです。島内にやはり八十八カ所の札所があり、毎年弘法大師の命日である3月21日に、地元や近隣の人々が大勢法要に訪れます。札所のある集落では朝早くから女性たちが集まってご接待の料理を作り、巡礼者を迎えるのです。というわけで増田さん、伊保田地区にある六十八番目の札所「阿弥陀寺」を訪ね、「ササゲ豆ごはん」のおむすびを作って、ご接待のお手伝いです!
伊保田地区のリーダーは、元気いっぱいの浜本陽子さん。集まった約10人の女性たちの中でも一番若いくらいですが、まわりのおばあちゃんたち皆に頼りにされているのが、見ていると伝わってきます。「こういう時に、お年寄りの知恵を盗んじゃうの」という浜本さん、郷土料理の作り方や食材の集め方など、様々なことを集落のお年寄りたちから学んできたのだそうです。方言を交えて説明して下さるそのやわらかな語り口を、ぜひ放送で感じて下さい。
余談ですが、弘法大師はもともと真言宗の宗祖。ところがこの島の住民はほとんどが浄土宗か浄土真宗だそうで、「余所者信仰なの(笑)」という浜本さん。宗派なんか気にせず、偉大な人の命日にご奉公することで自分たちも磨いて幸せになろうという、この島らしいおおらかさが表れていますね。


 
丘の上に建つ小さなお堂が六十八番札所「阿弥陀寺」です。
島内には幾つもの集落がありますが、旧暦の3月21日と新暦で行う所があり、ご接待に出される食べ物も地区によって違うのだそうです。

ワイワイと賑やかな島の女性たちと一緒におむすびを握る増田さん。

「ササゲ豆ごはん」のおむすび。小豆より少し大きい位の黒い豆で、赤飯より豆らしい風味が沁みており、とても美味です。
 
         
 

浜本さんの好きな風景

ご接待が一段落した後、浜本さんが「大好きな風景」という場所へ、一緒に行ってみます。伊保田の集落からさらに島の東端の方向へ2キロ。車も人も通らない海沿いの静かな道を進んだ所で、浜本さんはふと歩みを止め、ニコニコしながら瀬戸内海に浮かぶ小さな無人島を指差しました。
「あれ、何か動物に見えません!?」
そう、確かに島は何かの動物の形に似ているのです。浜本さんは伊保田から4キロ離れた集落に用事があってよく歩くのだそうですが、ここを通る度に「おーい、元気―?」と、その動物に話しかけるのだそうです。「鶯や鳥の鳴声も聞こえるし、波の音もするし。ここ、大好きなんですよー」という浜本さん。何だか純粋で無邪気な想像力に、私たち一同すっかり幸せな気分になったのでした。

 
「あれ、何か動物に見えません!?」何に似ているのか?放送をお楽しみに。
 
         
 

のん太の会

さてこの周防大島、実は日本一高齢化率の高い島としても知られており、統計によると65歳以上の方の人口が、島の4割を占めるのだそうです。ですから60代はまだまだ「若手」、80代で漁師や農家を現役で続けている方もたくさんいらっしゃるという、まことに元気な島なのです。
「みかんと漁業の島」として知られていた周防大島ですが、戦後若者はどんどん都会へ出て働くようになり、過疎化の一途をたどりました。そして「団塊の世代」が定年を迎え始めた今、最初に島を出た世代が各地で定年を迎え、次々とこの島へ「Uターン」しつつあるのだそうです。都会で働き、職業も知識や技術も様々なUターン組の人たちが、「俺たちの経験を活かして何か新しいことをやってみよう、島を元気にしよう」と2003年に結成したボランティアグループが「のん太の会」。6名からスタートして現在会員は18名、そしてその奥さま方も重要なサポートメンバー。総勢30名近く集まっての活動はとにかく賑やかで、笑いが絶えません。増田さんもその活動に飛入り参加です。

 


結集した「のん太の会」のみなさんです。「のんた」とはどういう意味なのか?放送で聞いてみてくださいね。

 
         
 

竹林の整備

「のん太の会」の活動は、休耕田に花を植えて花畑にしたり、島ならではの特産品を作ろうと「みかんワイン」や「豆茶」の商品化を試みたり、クラシックコンサートなど文化活動を開催したりと様々ですが、中でも今力を入れているのが竹林の整備。かつて島中にあったみかん畑が手付かずで放置され、40年の間に段々畑の石積みも見えないほど孟宗竹が蔓延ってしまったのです。竹は放っておくと他の植物の養分を奪って山を枯らせてしまうばかりか、それによって地すべりを起こしたりと、良いことがありません。そこで「のん太の会」の方々が竹林の伐採、間引きを行い、美しい島を取り戻す作業をしているのです。増田さんも孟宗竹の伐採のお手伝いに出かけます。

 


孟宗竹とはこんなに太く、しかも皮の厚い竹なのです!

きちんと手入れされた竹林はかように美しいのです。「のん太の会」メンバーによる地道な努力の成果です。

こちらは荒れ放題の竹林。違いは一目瞭然ですね。

 
         
 

竹炭

伐採した竹は無駄にせず、炭窯で一晩焼いて竹炭にします。出来た竹炭は島の知的障害者の施設へ送られ、パッケージ化されて商品になります。
竹の枝葉の部分は切り取って堆肥にし、畑や竹林に撒いています。竹林の中で、メンバーの方がその堆肥が撒かれた部分の土を掘り返して下さったのですが、増田さん「ギャーッ!!」と悲鳴。見たこともないほど巨大なカブトムシの幼虫がゴロゴロと4匹も出てきました。堆肥の栄養が良いから大きくなるのだそうで、竹の含んでいる栄養分というのは相当なものなのだということが実感できます。

 
伐採した竹材を窯へ入れます。この穴窯もメンバーの方が独自に設計し、建てたもの。

焼き上がった竹炭。良い炭は電気を通すということで、番組の中で実験してみました。

竹林の堆肥の中で眠っていたカブトムシの幼虫です。携帯電話と比べるといかに巨大かお分かり頂けると思います。
 
         
  ポンプラ飯

さて、作業でお腹も空いたところでお昼ご飯ですが、ここでも竹がフル活用されました。
五目ご飯を竹筒の中に入れ、竹炭の火で炊く「ポンプラ飯」をご馳走して下さったのです。
なぜ「ポンプラ」と言うのかは分からないそうですが、メンバーの方々の小さい頃にはよくこうして白いご飯を炊いていたそうで、ご飯に竹の香りが沁みて、とてもおいしいのだそうです。料理となれば、奥さま方の出番!増田さんを囲み、ワイワイと昼食の準備です。
そんな中伺った話でなるほどと思わされたのは、奥さま方は皆「Uターン」ではなく「Iターン」、つまり都会でご主人と出会って結婚し、定年後一緒にこの島へやって来た「移住者」だということ。それまでの都会の生活や、自分自身の故郷とは全く違う「島の生活」。期待の一方不安もあり、さぞ大きな決心を固めて来られたのだろうと察せられます。しかしそこは女性のパワー、「のん太の会」のおかげで同じ境遇の仲間も出来、皆集まってワイワイと料理をしている様は一様に明るく、1人では不安なことも、仲間が寄り集まることで越えていけるのかもしれないなと感じさせられます。

 
奥さま方とポンプラ飯作りです。北海道、富山、広島…出身地は皆さまざま。

「ポンプラ」の中に五目ご飯の具と出汁、米を入れます。 竹炭の火で炊くことおよそ90分、お味の方は?


テーブル、皿、カップ、すべて竹です。
手作りの料理を、この環境で食べるのは最高の贅沢!

 
         
  純喫茶すみれ

さて、ここでちょっとコーヒーブレイク、島で一番古い喫茶店に立ち寄ります。
昭和23年からこの店を始めたと言う政村哲雄さんは現在91歳、奥さまの里子さんは87歳!そして今も現役のマスターとウェイトレスです。
戦後の食糧難の頃にはコーヒー豆も手に入りにくく、広島の闇市に買いに行っていたなど、様々なご苦労をされたそうですが、そんな時代にまだ島には無かった喫茶店を開こうというアイディア自体が、かなりハイカラなものだったでしょう。
実は奥さまの里子さんはハワイのカウアイ島生まれで、4歳までそこで過ごしたという方。里子さんに限らず、周防大島は明治以降たくさんのハワイ移民を送り出した島として知られ、戦後に島へ戻って来られた方も大勢いらっしゃいました。そのため島内ではいまだに「わしゃ今日はストマック(腹)が痛むけえ」などと英語の混ざった日本語を話すお年寄りがいらっしゃるとか。里子さんもハワイに住む親戚一同の写真を見せて下さいましたが、「これが“ファミリー”の写真です」とおっしゃっていました。
  ご長寿で現役、そしてハワイ帰りと、まさに周防大島を象徴するようなご夫婦。
因みに店内に積んであったコーヒー豆は“ハワイアン・コナ”、「おいしいので是非持って帰ってください!」と私たちスタッフも大量にいただいてしまいました。政村さん、ご馳走さまです!


 
政村さんご夫婦と、コーヒーを飲みながら語らいます。
お店の前で。
ハワイアン・コナ、ご馳走さまでした!

 
         
  柳井市へ

鳴門海峡なみに潮の流れが速いことで知られる大畠瀬戸(おおばたけせと)の海峡。周防大島と本州を結ぶ周防大橋を渡る時、海を見下ろすとあちらこちらで小さな渦が出来ているのが見えました。橋を渡ると対岸は柳井市大畠(おおばたけ)です。

 
周防大橋を渡って柳井市へ向かいます。
 
         
  大畠バイテクファーム

2005年2月に柳井市と合併したばかりの大畠。ここに昭和26年から蘭の栽培と新種開発を続ける蘭研究の第一人者がいらっしゃいます。「大畠バイテクファーム」の小田善一郎さん。
私たちが訪ねた時、ちょうど「これが今世界でもっとも美しいカトレア、我々専門家の目から見てもパーフェクトなんです」と小田さんが言う蘭が花を咲かせていました。長い苦労の末にようやく咲いた花で、「アントネットマハンオダ」と命名され、英国蘭協会に登録されたという一品です。
しかし「蘭の新種開発」と一言で言っても、実際には何をするのか素人にはピンと来ませんね。実は蘭の栽培というのは途方も無い時間と忍耐力の要る仕事なのです。色や形が優れて美しい蘭を親として選び出し、それを交配させる(雌しべの柱頭に、花粉の塊を塗りつけて受粉、つまり種を妊娠させる)ところまでは何となく察しが付きます。ではその先どうなるのでしょう?
  出来た種はまず寒天で作った培養地で育て、成熟して植えられるようになるまでに10ヶ月かかるそうです。そしてその種を土に植え、花が咲くのは、何と10年後!つまり、選んだ親の蘭の組合せが正しかったか、美しい子供の蘭を咲かせるかどうかは、10年経ってみないとわからないわけです。しかもここが生物の面白いところで、同じ親から出来た種の中にも人間と同じように出来の良いのと悪いのがいて、時には落ちこぼればかりという時もあるそうです。「2000作って、2000捨てた時もありました。でもね、生物を捨てるでしょ、心が痛むんですよ」と小田さん。ところが逆に、何百と言う中に突然物凄く美しい花が出てくる時もあるのだそうです。「人間の子供育ててるみたいでね、楽しいんですよ。」 
蘭と対話するように静かに語る小田さんですが、その心は少年のように好奇心に溢れているのが伝わってきます。
「あれとあれを組合わせたらどうだろうと、やりたい仕事はいつも山ほどあるのに、時間だけがどんどん経ってしまう」と、小田さんは言います。「夢は果てしないのに、人間の生命が短かすぎるんです。」

 

 
小田さんの育てた美しい蘭の数々です。

世界一美しいという蘭、「アントネットマハンオダ」。
 
         
  甘露醤油

白壁の町並が美しい柳井市は、江戸時代に瀬戸内海海運の港町として栄えました。
その重要な出荷物の一つだったのが、「甘露醤油」。岩国の殿様に献上したところ「甘露、甘露(=おいしい)」と言われたことからその名が付いたという、「再仕込み醤油」です。
  醤油とは普通、塩水に麹(炒った小麦、蒸した大豆に種麹菌を加えたもの)を入れ、1年半〜2年熟成・発酵させたもの。そうして出来た醪(もろみ)を搾ったものが「濃口醤油」ですが、柳井ではその濃口醤油にもう1回麹を入れ、さらに2年熟成させるのです。つまり「醤油で醤油を作る」ということで、材料も時間も倍かかる、大変贅沢な醤油です。
明治時代には7軒あったという柳井の醸造元は、現在3軒。まずはそのうちの1軒、「佐川醤油」さんの蔵で撹拌作業を見ながら、甘露醤油についてお話を伺います。

 

 
柳井へやって来ました。

佐川醤油さんの蔵です。撹拌作業とは、樽の中で生きている「麹菌」に酸素を送るためにかき混ぜてやる作業のこと。

醪(もろみ)、熟成してドロドロになった状態です。これを搾って出てきた液体が醤油になります。

 
         
 

菰(こも)巻き

さて江戸時代から200年以上も続く甘露醤油ですが、そのパッケージにも独特のものが受け継がれて来ました。藁を編んで作る菰(こも)で醤油瓶を包む、「菰巻き」です。
  現在の甘露醤油はガラス瓶に入っていますが、江戸・明治期には白磁瓶でした。それらを船積みしても割れないようにと、クッション代わりに考案されたのが菰巻きで、菰には各醸造元の焼印が押され、デザインとしても高級感があってなかなかおしゃれな一品です。
  2軒目の醸造元、「重枝醤油」さんで、菰巻きの作業を拝見します。
藁は醤油屋さんが稲作農家から手に入れ、それを編み手に持ち込んで菰に編んでもらっていたそうですが、今や菰を編める人がほとんどいなくなったと言います。重枝さんがお願いしている家も編み手は大正生まれのおばあちゃんだそうで、たまたま撮影の少し前に手に入ったので、運良く見せていただくことが出来ました。

 

 
醤油瓶に菰を巻き、縄で縛る重枝さんです。縄の結び方にはコツがあり、これは職人技なのです。
 
         
 

内国勧業博覧会

3軒目の「柳井醤油」さんには、明治36年に大阪で開かれたという「内国勧業博覧会」に、柳井の特産品として甘露醤油が出品され、2等賞を獲得した際のメダルと広告が残っていました。全国の産業を活性化させようと明治政府が開いたこの博覧会には、世界からも13ヵ国が産業技術を出品し、日本中から530万人もの人が訪れる事実上の万国博覧会だったそうで、いかに柳井の醤油が高級品だったかということが伺えます。

 
柳井醤油さんには明治時代の菰巻きもそのまま残っています。

こちらは柳井醤油さんの焼印です。

 
         
 

黄砂に霞む大畠瀬戸の海峡の向こうに、周防大島がぼんやりと姿を見せています。
それにしても、今回出会った方々はこちらがエネルギーをいただいてしまうくらい、皆本当にお元気でした。 “生涯現役”でいること、日々の生活や仕事を楽しむこと。これが元気の秘訣かな・・・と思いつつ旅を終えます。

 
 
 

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