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(c)安野 光雅
 

みどころ

 

 
         
 

新緑が本当に気持ち良い季節になりましたね。梅雨入りするまでのほんの束の間、一年で一番過しやすい時期。ましてや高原で過す初夏は、山間を吹き抜ける風の涼しさ、鶯の鳴声、少し遅めの田植えが進む田園風景…どれをとっても五感に心地良いものです。
今回の旅先は、標高500mから1600mの山々に囲まれた、群馬県高崎市倉渕町。昨年1月に〈旧倉渕村〉が高崎市と合併して出来たのですが、町というよりも素朴な農村の生活と風情が残る山里です。ガイドブックの類にもあまり詳しく載っていないので、普通なら北軽井沢や草津に向かう途中で素通りしてしまいそうな山村ですが、どっこいここに暮らしているのは個性的でユニークな方々ばかり。ずっとこの土地に住み続けている方も、Iターンで移住してきた方も、それぞれ倉渕だからこその自然や農産物と関わる生活を満喫していらっしゃって、予想外に楽しい旅となりました。群馬通だという今回の旅人・丹波義隆さんの旅の地図も「ここだけは塗り残していた」という群馬の秘境・倉渕の旅の開幕です!

 


田植えが終わったばかりの農家。ロケ中あちこちで田植えの風景を目にしました。

 
         
 

チェーンソーアート

“ブィィーン!!!”という機械音が響き渡る山間の作業場に、まずは住谷守さんを訪ねます。本職は農業という住谷さんですが、伺ってみると巨大なチェーンソーを振り回して何やら作業中。実は山から切り出してきた桑の木の丸太を利用して、一風変わった文字看板を彫っているのです。丸太の幹を刳り貫いて文字の形を残すのですが、驚いたことに鑿や彫刻刀を一切使わず、チェーンソーだけの一刀彫り。複雑な漢字やひらがなの線の隙間でも、住谷さんは大小様々な種類のチェーンソーを駆使して見事に刳り貫いていきます。題して“チェーンソーアート”。
もともと林業に携わっていた経験もある住谷さん、伐採された廃材を何かに有効利用できないだろうかと考えて文字を彫ってみたのが始まりだったといいます。趣味が高じていろいろ彫っているうちに町の人たちから看板を頼まれるようになったそうですが、実際倉渕の中を移動していると、その作品を至るところで目にします。酒屋さんや蕎麦屋さんの看板、公園の入口の標識、個人のお宅の表札、また山道の側に「ありがとう」とか「いらっしゃい」といったメッセージを刻んだ物もあり、何だか暖かい気持ちになります。チェーンソーだけで彫った粗削りな感じがかえって素朴さを生み、倉渕の雰囲気に見事に溶け込んでいるのでした。


 
この巨大なチェーンソーで、見事に文字の隙間を彫っていくのです!

住谷さんのお宅にある看板の数々。「たんころ工房」の「たんころ」とは丸太のことだそうです。

放送で紹介できなかったのが残念!実は丹波さんも看板作りに挑戦したのです。
住谷さんに手伝っていただいて完成させたこの看板、丹波さんのご自宅の表札になったそうです(笑)

倉渕の山道の側に立つ看板。心が和みますね。

 
         
 

木製教材

さて倉渕の山の資材を使ってユニークな物を作られている方がもうひとりいらっしゃるということで訪ねてみます。鴨下康之さんが経営する「鴨下製作所」といい、幼稚園・小学校の木製教材や、昔ながらの木のおもちゃなどを作っている工場です。本社は東京にあるそうですが、木工製品を作るのに適した環境を日本中探し回り、13年前に倉渕へやってきたといいます。
鴨下さんの工場の特長は、木製教材をすべて全自動の機械で作れるようにしたこと。そして私たちが見せていただいた機械では、複数の刃が組合わせを変えて木材を削ることにより、1台で羽子板、ポックリ下駄、舟と3種類の木工教材を作れるようになっているのです。しかもその機械が、鴨下さんのお父さん・健一さんの手作りだというから驚きです!
目の前で、真四角の板が十数枚一ぺんに“チュイ―ン!”と削られると、あっと言う間に羽子板に。この早業のすごさは映像で見ると一目瞭然です。

 
木工製品の数々です。
カスタネットやハンドウッドブロックなどの打楽器、ヨーヨーや羽子板、ポックリ下駄、独楽といった昔ながらのおもちゃなど、種類はさまざま。

鴨下さんのお父さんが発明した機械です。中央に四角い板が十数枚セットされていますね。“チュイ―ン!”という一瞬の音と共に…

アッという間に羽子板の出来上がり!

こちらはカスタネットを削る機械です。あまりの早業に、丹波さんも唖然…
 
         
 

小栗上野介(おぐりこうずけのすけ)の遺品

チェーンソーに木工教材と、なぜか機械好きの方々が続きましたが、実はこの倉渕は日本の工業化を推し進め、近代化に大きく貢献した江戸末期の幕臣・小栗上野介(おぐりこうずけのすけ)縁の地でもあります。倉渕の中心、権田にある東善寺に、その小栗上野介の貴重な遺品が残されているということで寺を訪ね、住職・村上泰賢さんにお話を伺います。
上野介は、江戸幕府が政治的にも財政的にも弱体化した幕末に、勘定奉行や海軍奉行を努め、1860年に幕府の命で欧米諸国を視察。アメリカでネジが大量生産されるのを目の当たりにして、日本もこれが出来るようにならなければ植民地化されると痛感したと言います。帰国後は日本の未来のために機械工業化が必要だと主張、財政がひっ迫する中強引に横須賀造船所を建設するなどして幕府内で反発を買い、遂には勘定奉行を解任させられ、この倉渕へやって来ました。さらに維新後は幕臣であったため明治新政府軍に捕らえられ、この村で斬首されたと言う、先見の明がありながら真に不運な末路を辿った人物でした。
しかし上野介が優れていたのは、工業化するためにまずネジを持ってくる、軍艦を持つためにまず造船所を作るなど、目先の利益でなく常に先々の展望を視野に入れ、その基礎を築こうとした点にあったと言います。東善寺に残された遺品は、どれも工業製品そのものではなく、工業製品を作るための「道具」。日本の近代化の第一歩が、ここにあるのです。

 


小栗上野介(1827〜1868)

上野介がアメリカから持ち帰ったネジ。
このたった一本のネジから、日本の近代化は始まったのです。

同じく上野介がアメリカから持ち帰ったドリル。

 
         
 

こんにゃく畑

さてせっかく初夏の農村へやって来たのですから、ここらで農作物を探しに畑へ出てみましょう。
群馬で有名な農産物といえば、まず「こんにゃく」。ちょうど今は植付けのシーズンということで、こんにゃく農家の原田康さん・カヅ子さんご夫婦の畑へお邪魔して、植付けのお手伝いです。
スーパーなどで簡単に手に入るこんにゃくですが、実はその原料となるこんにゃく芋の栽培には気の遠くなるような時間と手間がかかっているということを、今回私は初めて知りました。こんにゃくの種芋は初夏(5〜6月)に植えて秋(9月頃)に掘り出し、冬の間約7度の温度で貯蔵して、また翌年の5月に植え…というサイクルを3年繰り返して、ようやく出荷用のこんにゃく芋になるのだそうです。という訳で、この日はあと一回植えれば秋に出荷という2年物のこんにゃく芋の植付けでした。
因みに、こんにゃくにも旬があるということ、皆さんご存知でしたか…?そう、収穫されるのは秋なのです。1年中スーパーに並んでいると、ついつい分からなくなりますね。

 


1つ1つ、向きを揃えて畝に種芋を置いて行き、最後に機械で土をかけます。
ずっとやっていると腰が痛くなります…
今まで2回植え替えされて、今度が3年目のこんにゃく。さすがに大きいです。

 
         
 

小麦粉料理

こんにゃくと並んで群馬県で有名な農産物が、“小麦”です。山間地で斜面が多く、水田が作りにくくて米が手に入らなかったため、群馬では昔から小麦が主食代わりでした。農繁期には小麦粉を使ったおやつを作って畑へ持っていき、「小昼飯(こじょはん)」と呼んで農作業の合間の腹の足しにしたと言います。そんな訳で、この地方には今でも小麦粉を使った郷土料理がたくさん伝わっているのです。
原田カヅ子さんは、実はこうした倉渕の昔ながらの食文化や「おふくろの味」を、若い人や都会の人たちにも知ってもらいたいと「倉渕生活研究グループ」という会を主催し、郷土料理を伝える活動をしている方でもあります。原田さんのお宅で、グループの方々に作っていただいた小麦粉料理の数々をご馳走になります。
ズラリと並べられた小麦粉料理は、すいとんを小豆で煮込んだ「おつみっこ」、焼き餅(=信州のおやき)、蒸しまんじゅう、などなど。中でも蒸しまんじゅうはこの地方では物日(ものび=行事、お祭り、祭日のこと)でお客様をお迎えする時には必ず出されるそうで、七夕にもまんじゅう、田植えの行事(少ないとはいえ一応稲作も行っていた)にもまんじゅうなのだそうです。
十五夜のお祭りもこの地方では月見団子でなくまんじゅうだそうで、大きかったり小さかったり、黒かったり白かったり、各家庭によって少しずつ違うそれぞれのまんじゅうを家の前にお供えしておくと、それを子供たちがこっそり取りに歩く(“盗む”と言うのだそうです)、というハロウィーンさながらの風習が、今でもあるそうです。

 


小麦粉をこねながら原田さんと「おふくろの味」「母の手のぬくもり」について語りました。

小豆のおつみっこ

物日には必ず出される蒸しまんじゅう

十五夜の子供たちの「まんじゅう盗み」の楽しい光景を、実に生き生きと語って下さるんです。それを聞きながら食べるまんじゅうはまた格別!

 
         
 

石窯パン

原田さんから倉渕に暮らす人々の生活風習について楽しいお話をたくさん伺いましたが、この町はIターン、つまり他府県からの移住者が多いことも、一つの特徴なのです。
倉渕で有機農法にこだわった野菜の栽培をしている和田さん夫妻も、10年前にこの土地へやって来たIターン組。新潟県出身の夫・裕之さんと岡山県出身の妻・佳子さんは東京の有機農産物の流通会社で働いている時に出会い、結婚。子供たちに「野菜はこうやって出来るんだよ」と、できるだけ自然に近い生活を教えたくて農業をしよう思ったといいます。農業を始めるに当たって倉渕を選んだのは、自然も人も、ピッタリ来たから。仕事柄、全国の農産物の生産地を回っていた2人でしたが、この土地に出会った時には理屈抜きに「ここだ!」と思ったといいます。
そして近所でもちょっとした評判になっているのが、自宅に作った石窯で焼く“手作りパン”。これも子供に「パンはお店で買う物じゃなく、身のまわりの材料を使って自分で作れるんだよ」ということを教えたくて始めたのがきっかけだと言います。
地元産の小麦粉、酒粕を使った自家製の酵母、庭先の鶏小屋で取れた産みたて卵。石窯は倉渕の石、薪は倉渕の木…すべてが倉渕の自然で出来た“自家製パン”。「ここに居なかったら、このパンは出来なかったよね」と佳子さんは笑います。

 


和田さんのお宅の前に広がるレタス畑です。

番組ではご紹介できませんでしたが、パンに入れるミルクはこの山羊の乳なんです!

生地をこねる丹波さんと佳子さん、笑顔です。できるだけいろんな人の手でこねた方が、いろんな菌が入って美味しくなるのだそうです。
「子供が前の畑で泥遊びしてきた手なんか、畑の栄養満点で最高だよね」と佳子さん。

いつも物静かな夫の裕之さん。「石窯の火を見てると落ち着くんです」と、一人静かにパンを焼いている姿が印象的でした。

焼けました、石窯パン!窯から出したばかりの時は内部でプチプチ音がしていました。食べると皮はパリパリ、中はしっとり。その音が実に美味しそうなんです!

 
         
 

野菜レストラン・呂志(ろし)

さてここでもう一軒、“自家製”、“採れたて”にこだわったお店へ向かいます。
2年前にオープンした野菜レストラン・呂志。その日採れた野菜しか出さないということで評判のお店です。
このレストランが面白いのは、メニューがないこと。料理はその日採れた野菜によって“お任せ”なのです。予約が入っている場合は早朝に畑に行って準備するそうですが、お客さんがふらりと立ち寄った場合は「じゃあすいません、今から畑に行って取ってきます(笑)」なんてこともあるそうです。畑から調理場直行の野菜を食べられるなんて、東京ではまず味わえない贅沢ですね。
私たちが訪れた時のメニューは、生のウド、人参のマリネ、トマトサラダ、新タマネギの柔らか煮、車麩焼きのネギ添え…などなど。中でも採れたてのウドに自家製味噌を付けてかぶりつくと、何とも言えないみずみずしさと“シャキッシャキッ”という歯応えがたまらなく気持ち良く、まさに絶品!
実は奥さんの高橋令子さんはもともと染織家。染めた作品を展示する場所を探しているうちに古い農家が空家になっているのを見付け、ギャラリーに改装しました。せっかく見にきてくれたお客さんに何かちょっとしたもてなしを…と思って庭先の畑に野菜を植えて出したのが大評判になり、お店にすることになったのだそうです。という訳で、このお店の2階では染物ギャラリーも楽しめるのです。

 


古い農家を改築したお店です。

2度と同じメニューはないかもしれません!?左上が絶品の“生ウド”です。

店内にも染物の暖簾などが掛けられ、おしゃれな雰囲気。囲炉裏端で野菜料理を楽しみます。

 
         
 

須恵器

この土地の自然あってこその活動をされている方がもう一方。陶芸家の佐藤けいさんの窯を訪ねます。
佐藤さんが焼いているのは、“須恵器”と呼ばれる古代の焼物。4〜5世紀(古墳時代)に朝鮮半島から窯の製造技術が伝来し、日本で初めて窯を使って焼いたのがこの“須恵器”。つまり全ての焼物のルーツと言えます。(因みに窯が出来る以前に焚火で焼いていた物を“土器”と呼ぶそうです)
須恵器は「穴窯」という原始的な窯で焼かれますが、その特徴は窯の部屋が1つしかない「単窯」であること。単窯は温めるのに何日もの日数と大量の薪を使い、しかもその熱もどんどん排熱となって逃げていってしまうのだそうです。大量の排熱と煙を出すため広い土地が必要であること、そして薪を確保しやすいということが、佐藤さんが倉渕の山の中を仕事場に選んだ理由でした。
因みに単窯では熱効率が悪いので、窯の後ろにもう1つ窯を作り、手前の窯の排熱が次の窯を温める、という仕組みを作ったのが「登り窯」。これによって焼物を焼く日数は大幅に短縮され、しかも一気に高温で焼くことができるようになったそうです。
穴窯は原始的なだけに薪のくべ方、窯の中の配置、その時々の気温、湿度など自然状況にも左右され、あるところから先はコントロールが効きません。90%は過去の経験とデータから焼き上がりの予測を立てるそうですが、残りの10%は神のみぞ知る、つまり自然の作り出す芸術というわけです。
しかし熱効率の悪い原始的な窯で時間をかけてじっくり焼くことが、かえって面白い効果を生むというのが、佐藤さんが穴窯にこだわる理由。日数をかけてジワジワと焼かれる状態が、地底のマグマが地表近くでゆっくりと冷やされて石になる過程と非常に近いそうで、須恵器は岩に似た素朴で荒々しい黒っぽさが特徴です。
また1300度もの温度で何日も焼くと、薪に近い所に置かれていた焼物には独特の変化が起こると言います。焼物に積もった灰が溶けてガラス質になり、表面を流れ落ちて独特の色と模様を作り出すのです(これを特別に「灰被り」と呼ぶ)。須恵器は釉薬を一切使わない素焼きですが、この「灰被り」によってまるで釉薬を使ってデザインしたかのような美しさになるのです。もちろん、これはうまくいった場合の話で、途中で隣の焼物とくっついたり、灰を被りすぎて真っ黒になったり、失敗作も多々出現します。それだけに「窯出しは最高にドキドキするし、また感動的なんです」と佐藤さんはおっしゃいます。
さて、撮影でお邪魔した時は窯焚きを始めてまだ2日目。6日間夜も徹して薪をくべ続け、さらにその後6日間燻してようやく窯出しとなるという話を聞き、私たちは「それでは窯出しを見ないわけにはいかないだろう」と、いてもたってもいられなくなって…


 


窯焚きによる黒煙が上がる、佐藤さんの工房です。外に積まれた薪の何倍もの量を、1回の窯焚きで使います。

穴窯に薪をくべる佐藤さん。これを6日間、昼も夜も続けます。

佐藤さんの以前の「灰被り」の作品です。この美しい色と模様を自然が作り出すのです。

 
         
 

窯出し

撮影から10日後、丹波さんと一緒に再び佐藤さんの窯を訪ねてしまいました!
この日は東京のギャラリー主催という佐藤さんの応援団約30人も駆けつけ、皆でワイワイと窯出しのお手伝い。果たして「神のみぞ知る」須恵器はどのような焼き上がりになっているのか…これはぜひ、番組でご覧になってください!(見て損はない素晴らしい作品です)

 


ドキドキしながら窯出しを待つ応援団の皆さんです。


果たしてどんな焼き上がり!?

 
         
 

山の資源と豊かな農作物。
古くからここに暮らす人も、他所からこの土地へ惹かれてやって来た人も
それぞれこの倉渕の自然を活かし、楽しんでいました。
加えてここには、手作りの素朴さ、人の手の暖かさがあります。
楽しき哉、村の生活!

 


 
 

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