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(c)安野 光雅
 

みどころ

 
         
 

今回の「遠くへ行きたい」、旅人は直木賞作家の角田光代さん。旅好きとして知られ、執筆の合間にもよく息抜きで旅に出かけるんだとか。そんな角田さんが今回旅先に選んだのは、日本有数の米どころとして知られる山形県の庄内地方。この地方は、羽黒山・月山・湯殿山の三つの山からなる出羽三山があり、日本三大修験場として有名です。昔から山岳信仰の強い場所であるのと同時に、月山の雪解け水によって一年にわたって土地が潤され、山と生きる暮らしが昔から続く地方です。角田光代さんの旅が始まります。

 


 
         
 

民田茄子の辛子漬け

この地方の人々にとって夏の訪れを告げる物の中に、民田茄子の辛子漬けがあります。この辛子漬けとは、直径3センチほどの大きさの、皮が厚く身のしまった小粒の茄子を、塩と酒粕で漬け、辛子とからめた漬物の事。夏の暑い時期に一粒口にほうばれば、ツーんとした辛味が鼻へ広がって、火照った体にその衝撃がなんだか嬉しい。そのツーンが味わいたくて、一粒食べればもう一つと手が止まらなくなってくる。角田さんが訪れた「月山パイロットファーム」さんでは、茄子から辛子までも自分のところで作り、自家製の辛子漬けを作っています。辛子はからし菜の種の事で、その種を天日干ししてから辛子にするんだとか。全て手作業で行わなくてはいけない為、今では辛子を作る農家も減っています。ちょうど梅雨の晴れ間に、刈っておいたからし菜から手作業で種を落します。普段食している辛子が、実際どうやって出来るのか目にした事がなかったスタッフ一同。月山パイロットファームの相馬さんに連れられて、畑へおじゃまします。角田さんもさっそく作業に混ぜてもらいます。

 



 
         
 

絵ろうそく

昔庄内を治めていた酒井藩が徳川家に献上していたのが、絵ろうそく。
300年近い歴史をもつ絵ろうそくですが、鶴岡市内に残っているろうそく屋は今では3軒のみ。その中でも、ろうそく作りから絵付けまでをやっている小林蝋燭店さんにおじゃましました。84歳になるご主人の小林さんが、イグサで作った灯心に、溶かしたロウをつけては乾かし、つけては乾かしろうそくの形に太くしていきます。その横では、奥様の幸子さんが絵付けをしていました。
この地方のお寺では、今でも祈祷や葬儀に絵ろうそくを使うのが正式とされていますが、後継者がいないというのが現実だと小林さんは言います。角田さんも小林さんが作ってくれたろうそくに絵付けをさせてもらいました。
一本一本が手作りの絵ろうそくは、暖かい色をした火が灯ります。

 

 
         
 

出羽修験

日本三大修験場の出羽三山。その聖域の入り口ともなる羽黒山には、出羽三山の三神を祀る「三神合祭殿」があり、冬の間月山と湯殿山は雪に閉ざされる為、羽黒山に参拝すれば三山全てにお参りした事になるという。標高が412メートルの羽黒山は、出羽三山の中では丘のように見えるが、2446段の石段は日本の中でも一位二位を争うほどの長さ。角田さんは山伏の太田さんに先逹人を頼み、羽黒山の山を上ります。国宝の五重塔を眺めたり、途中お茶屋に寄って休憩しながら「三神合祭殿」を目指します。日本の宗教そのものであった「神仏混淆」の話や、山伏と呼ばれる修験者の役割とはなんなのか、
普段の自分たちにはない山と生きる人々の話を伺います。

 

 
         
 

山ぶどう酒

湯殿山に少し近づいた鶴岡市上名川。ここに山ぶどう酒があると聞いてやってきました。昔は野生の山ぶどうを樽に入れ発酵させ、滋養強壮にも良いと農家から山伏まで皆が飲んでいましたが、酒税法の関係で取り締まりが厳しくなった事から作る人がどんどん減るようになりました。そこで酒類製造の免許を取り、昔から飲まれていたこの山ぶどう酒を造るようになったのが、農協の山ぶどう研究所。ワイン好きの角田さんもさっそく試飲をさせてもらいます。「山ぶどう酒は本当はこういうので飲むんですよ」と研究所の赤松さんが出してくれたのはワイングラスではなく湯のみ。気取って飲むものでは元々ないんですよ、昔からこの土地に伝わっている酒作りの話を伺いながら、赤松さんと一杯やります。

 



 
         
 

森敦と注連寺

出羽三山の奥の院となる湯殿山に、注連寺というお寺があります。ここはかつて作家の森敦が一冬を過ごした寺であり、また彼が芥川賞を取った「月山」の舞台と言われる場所でもあります。若くして才能を認められ、その後30年間あまり放浪を続けた森敦に、同じ作家として興味を持った角田さんが向かいます。元々この寺の名前は「注連縄(しめなわ)」に由来しており、また寺のある集落の名前も「七五三掛(しめかけ)」と呼ばれ、この寺そのものが結界であり俗世とは違うという意味が含まれていると言われています。この生と死の境にある寺で、森敦がひと冬過ごす間に何を考え、何を見つめていたのか。六十里越街道と呼ばれる1000年以上の歴史を持つ古い山道や、森敦が暮らした本堂の横にある庫裏の部屋など、森敦文学保存会の五十嵐さんに案内してもらいながら、彼の足跡を辿ります。

 

 
         
 

即身仏

角田さんには実はもう一つ、このお寺へ来てみたかった訳がありました。
それはこのお寺の本堂に安置されている「鉄門海上人」の即身仏にお目にかかる事。元々日本全国で発見されている「即身仏」のうち、およそ半数が庄内地方にあると言われる。即身仏とは肉身のまま成仏した行者の事で、自ら入定(にゅうじょう)する日を決め約1000日に渡って穀物を断ち、ついには土中にこもり念仏を唱えながら入定する人の事をさす。もともと即身仏に興味のあった角田さんが、注連寺のご住職の佐藤さんから話を伺います。

 


 
         
 

旅をしにやってきたその土地に、何も持たずに我が身一つを委ねてみる事が、本当の意味での「旅」というものかもしれません。旅人が旅先の風景の中に溶け込み、角田さんの後ろ姿は景色の色の中へにじんでいきます。
山形県庄内地方の旅、山の存在が土地と人に「豊かさ」を与えているような気がします。次回の「遠くへ行きたい」お楽しみに。

 


 
         
 

 

 


 
         
 

 

 


 
         
         


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