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みどころ

 
         
 

約1年半振りとなる女優・萩尾みどりさんの旅、今回は三重県松阪市と、お隣の多気町(たきちょう)を巡ります。紀州・和歌山から奈良・吉野を抜けて伊勢湾・松阪へと至る「和歌山街道」は、かつて紀州の殿様の参勤交代に利用され、お伊勢参りの人々も行き交って大変賑わったと言います。今回はその「和歌山街道」を軸にして、城下町・松阪と周辺の宿場町を「田舎みち」で結ぶ旅です。

 


和歌山街道の宿場の1つ、滝野宿です。

 
         
 

農村料理バイキング

振り出しは多気町。田んぼの中に農村料理のレストランを見付け、お昼ご飯に入ります。
ここは「農村料理バイキング」で人気の「まめや」、中に入ってみると長蛇の列が出来るほどの賑わいようです。炒り大豆、冷奴、おからコロッケ、きんぴらごぼう、ズイキの煮物、切干大根、ミョウガの味噌和え、里芋煮、冬瓜の葛煮…まさに、お母さんが家庭で作ってくれるような、温かい手作りの料理の数々!もちろん材料となる野菜や米は全て地元の農家の方々から仕入れたもの。また肉や魚は使わず、大豆からたんぱく質を摂ることをモットーに、その季節季節で採れる旬の野菜を使った料理が約30種類並びます。
「農村には、かつての自給自足の生活の中から生まれた食の知恵がたくさん詰まっている。そんなおじいちゃん、おばあちゃんの持っている知恵や技を、次の世代に伝えたいんです」とまめや代表の北川静子さん。そんな志を共にする地元の方35人が集まって農業法人「せいわの里」を立ち上げ、「まめや」はその活動の拠点となっているのです。
番組では残念ながらご紹介できませんでしたが、北川さんが教えてくださった「おじいちゃん、おばあちゃんの知恵」の中にはこんなものがありました。例えば夏から秋にかけて茄子を収穫したら、その葉を乾燥させてとっておく。また秋に獲れる渋柿の葉もとっておいて、冬に大根が出来た時一緒に漬け込むのだそうです。冬漬け込んで夏を越す「たくあん漬け」は塩を大量に入れてしっかりと漬け込みますが、茄子と柿の葉が香りを良くし、塩味をまろやかにするのだそうで、これはまさしく古くから農村に伝わる「先人の知恵」。「まめや」を拠点に、そんな素敵な技の数々が、ずっと伝わっていくと良いですね。

 


稲刈りも終わって稲藁の積まれた田んぼの中に、「まめや」がありました。

ちょうど祝日だったこともあり、この混みよう!休日には近県や大阪からみえる方も多いとか。

30品全部はとてもご紹介できないので、一部だけ…これは「炒り大豆」です。

「おからコロッケ」。多気町周辺は昔から大豆処で、豆腐やおからの料理がたくさん。

「五穀米のおはぎ」

萩尾さんもご満悦!野菜なのでお腹にもたれず、いくらでも食べられます。これで1000円はお得!

 
         
 

和歌山別街道

ちょうど「まめや」の前にある湿原には、ホテイアオイの花が咲き乱れていました。よく金魚鉢の中に浮かんでいる水生植物ですが、花が咲くって皆さんご存知でしたか?

 
ホテイアオイの咲く湿原を歩きます。


ホテイアオイという名の由来は、葉柄がふくれて浮き袋状になり、それが布袋さまに似ているところからきているそうです。

ひっそりとした佇まいの丹生(にう)宿。かつてお伊勢参りの人々が立ち寄った宿場町です。街道筋の所々に道標が立っており、「左いせさんぐう道」「右よしのこうや道」などと彫られていました。

 
         
 

伊勢茶の茶畑

清流・櫛田川(くしだがわ)に沿って和歌山街道を山の中へと遡り、松阪市飯南町(いいなんちょう)までやって来ました。周辺には水田と共に茶畑が広がります。お茶の収穫といえば普通4〜5月の“一番茶”の季節ですが、飯南では今“秋茶”の刈入れの真っ最中。山本齊さんにお話を伺います。
私たちが普通「新茶」と呼んでいるのは4月、5月に摘まれた一番茶だそうですが、一番茶を摘んで約40日後に芽が出てくるのが「二番茶」。さらにその後40〜60日後に芽を出すものは摘まずに切り落し、さらにその後出てくる「4番目の芽」が秋芽、または秋茶なのだそうです。新茶は冬の間少しづつ延びてくるため芽が柔らかいのに対して、秋芽は夏の間に日光を燦々と浴びて勢いよく延びるため芽が硬く、番茶、焙じ茶、玄米茶に加工されるものが多いそうです。
さて茶摘みといえば、「夏も近づく八十八夜…」で5月の新茶の季節に伝統行事として手で摘んでいるイメージがありますね。現在もイベントとしては各地で茶摘み行事は行われていますが、実際の刈入れはすべて機械。ところで皆さん、茶畑には畝が丸くなっている畑と、平らになっている畑があること、ご存知でしたか?それはお茶を刈る機械の種類によるものなのです。

 
飯南町には広大な茶畑があちこちに広がっています。丸い畝と平らな畝があるのが分かりますね。

茶摘みも今や機械化されています。これは“乗用”と呼ばれるタイプです。

こちらは手で持って刈り取る方式の機械。2人で高さを合せないと畝が斜めになってしまうため、息を合せるのが意外に難しく、ご夫婦でやるのが一番良いそうです。
 
         
 

製茶工場

山本さんの案内で、近所の製茶工場も見せていただきました。
「茶揉み」も今やすべて機械化されています。ただし面白いことに、手で揉んでも、機械で揉んでも、仕上げまでには4時間かかるそうで、やはり美味しいお茶を飲むためにじっくりと時間をかけなければならないことは、変わらないようです。

 


畑で摘まれた茶葉が、製茶工場へ運ばれてきました。

まず最初の工程で茶葉を蒸します。

それから乾燥させ、最後に人間の手の動きを再現した機械で「揉み」の工程です。

 
         
 

深緑茶房

自分の畑で育てたお茶を、自分の工場で精製し、販売しているこだわりのお茶屋さんがあると聞き、訪ねてみます。松本浩さんが経営する、「深緑茶房」です。
このお店の人気は、お客さんの好みに合せて3種類の茶葉をブレンドしてくれる「マイブレンド茶」。元々松本さんがコーヒー豆のブレンドから思い付いたアイディアだそうですが、日本茶も一般的に茶葉をブレンドして楽しむものであるということが意外に知られていないので、それを知ってもらおうと始めたといいます。
萩尾さんも早速自分の好みを注文です!曰く「えーと、色が濃―く出て、香りがいい、渋味が薄くて、ちょっと甘味があって、喉越しスッキリな…」

 


茶葉をブレンドする松本さん。萩尾さんの難しい注文に応えられますか…!?

茶葉は「煎茶」「かぶせ茶」「深蒸し茶」の3種類。それぞ

ブレンド茶の急須に湯を注いでから、砂時計が出てきました!
「このお茶に対してこの量で、60秒です」と松本さん。煎れ方にもこだわります。

 
         
 

松浦武四郎記念館

さて和歌山街道と伊勢街道が交差する城下町・松阪へやってきました。
ごく最近、ここ松阪出身ということで注目を集めている歴史上の人物がいます。“三重県三大偉人”の1人に数えられている松浦武四郎。幕末から明治にかけて活躍した探検家であり民俗学者、作家でもありました。そしてこの武四郎が「北海道」という地名の名付け親だというのです。
松阪市に平成7年に開館した松浦武四郎記念館には、幕末に武四郎がアイヌの人々の協力を得ながら、13年間6回に渡って北海道(当時は蝦夷地)の大地をくまなく歩いて調査した際の克明な日誌、その集大成として作り上げた蝦夷地の地図の他、武四郎が明治政府に「北海道」という名を提案した直筆の書面など、貴重な品々が保管・展示されています。
三重県三大偉人の他の2人、松尾芭蕉・本居宣長に比べるとこれまで知名度は今ひとつだった武四郎ですが、ここ10年程の間に様々な研究がなされ、武四郎の残した成果の大きさが見直されつつあると言います。学芸員の山本 命さんにお話を伺います


 


松阪市内を通る伊勢街道を歩きます。

武四郎が仕上げた蝦夷地の地図。
江戸時代の地理学者・伊能忠敬と探検家・間宮林蔵が作成した地図は海岸線だけで内陸の部分は真っ白だったと言います。武四郎はその内陸を全て歩き、山や川を書き入れました。

2人の足元にあるのが、原寸大の地図のレプリカ。その大きさ、細かさがお分かりいただけると思います。

記念館のすぐ近く、伊勢街道沿いに、武四郎の生家が残っています。
多くのお伊勢参りの旅人が行き交った伊勢街道。その旅人たちの姿が、武四郎に遠い大地への想いを抱かせたのかもしれません。

 
         
 

松阪木綿

さて、松阪の名産品といえば、なんといっても“松阪木綿”。
松阪市内の街道筋には、今も江戸時代の大商人の大きな屋敷が、何軒も残っていますが、そのほとんどは江戸に店を持つ木綿問屋だったといいます。
松阪木綿は藍染めによる縦縞が特徴ですが、実は日本には江戸時代になるまで縦縞模様の着物を着るという文化がありませんでした。時代が江戸に入る少し前、南蛮貿易が行われていた頃に東南アジアの安南(あんなん=今のベトナム)から入って来た布の中に縦縞模様があるのを松阪の商人・角屋七郎兵衛が発見し、藍染めで日本風にアレンジして売り出したところ江戸で爆発的なブームになったというのです。
松阪市内にある「松阪もめん手織りセンター」で機織り体験をしつつ、坂梨律子さんに松阪木綿の歴史についてお話を伺います。

 


「魚町(うおまち)」にある、長谷川家住宅、このお宅も木綿商でした。
後に呉服屋“三越”を開く三井家も、松阪の木綿問屋です。松阪がいかに木綿で潤ったかがわかりますね。

様々な種類の“縦縞模様”です。
粋好みだった江戸の女性たちに絶大な人気を得て大ブームとなり、松阪商人は1年間に57万反を売り上げたと言います。

松阪木綿の着物を着た水谷陽子さんに、機織りを教わります。

 
         
 

本居宣長記念館

さて前述の“三重県三大偉人”のもう1人が、本居宣長。この人も実は、松阪の木綿商人の家に生まれました。誰もが一度は日本史の教科書で目にしたことのある、江戸時代の医者にして、国文学者。奈良時代に書かれた日本最古の歴史書「古事記」は、全て漢字で書かれた書物で一般の人は読むことが出来ませんでした。それを35歳から69歳までの35年間をかけて丹念に読み解き、ルビや注釈を付けて誰でも読めるようにしたのが、全44冊に及ぶ宣長の著書「古事記伝」。つまり私たちが現在教科書や文庫本で親しんでいる古事記は、全て宣長の解釈がもとになっているのです。
そんな几帳面で厳格な学者だった宣長が書斎に吊るして楽しんでいたというのが、実は鈴なのです。本居宣長記念館には、宣長が愛したという8種類の古代の鈴が展示されています。鈴は古代から神事で使われる道具でした。勉強で疲れた時に鈴を鳴らして頭を休めたという宣長ですが、あるいは鈴を鳴らすことで、古代人の想いに触れたかったのかもしれません。館長の門 暉代司(かど きよし)さんにお話を伺います。

 


宣長直筆の「古事記伝」の原稿(国指定重要文化財)。
この整った文字や、ルビの細かさからも、宣長の几帳面な性格が伺えます。

宣長が書斎の床の間にかけていたという、三十六鈴の“柱掛鈴”。
どんな音がするのか、放送で聞いてみてください。

こちらは古代の役人の身分証として使われた、駅鈴(えきれい)を模したもの。
宣長が石見国(いわみのくに)浜田藩主から授かったもの。

 
         
 

駅鈴堂(えきれいどう)

さて、そんな本居宣長の鈴コレクションを忠実に復元製作している方が、松阪市内にいらっしゃいます。駅鈴堂の久留美 梅男さんです。そのお仕事場へお邪魔し、鈴作りを見せていただきます。
1000℃近くの高温で溶解した金属を、土で作った鋳型に流し込むのですが、実はこの土にも工房によって配合の工夫があるのだそうです。
鋳型に流し込んだ金属(取材の時は真鍮(しんちゅう)でした)はものの10分もすれば冷えて固まります。こうして出来上がった鈴、不思議なことに同じ型で同時に作ったものでも、微妙に音色や音程が違います。世界に2つとない音、これこそ手作りの鈴の魅力かもしれません。萩尾さんは1つ1つ鳴らしながら、「これみんなで1つずつ持って音楽が出来そう(笑)」とおっしゃっていました。

 


溶解した金属を鋳型に流し込みます。

:鋳型から出したばかりの鈴です。左右対称になっているのが分かりますね。
切り離して中に鈴を入れ、溶接するのです。
宣長の駅鈴のレプリカ、キーホルダー版です。チリンチリン、と澄んだ音がします。

 
         
 

櫛田川に沿って和歌山街道を辿った今回の旅、農村の暮らしや知恵から出発し、城下町・松阪の江戸時代の町人文化に触れ、涼しげな鈴の音に送られて、旅を終わります。

 


 
         
         


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