番組からのお知らせ
番組データ集
ご意見・ご感想
(c)安野 光雅
 

みどころ

 
         
 

 今回は番組初登場となる、緒形直人さんの旅。実は緒形さん、岐阜県とは昔から仕事で縁が深く、古くは大河ドラマ「信長KING OF ZIPANGU」から映画「郡上一揆」、そして今回の「遠くへ行きたい」の2日後に放送される2時間ドラマ「さくら道」などのロケで度々訪れたことがあったそうです。撮影の合間に高山や飛騨古川へも足を伸ばし、古い町並や職人さんの工房が軒を連ねる風情がとても気に入ったそうですが、何せ撮影の合間で忙しく、充分な時間が取れなかったといいます。そこで今回は大いに羽を伸ばして、伝統的な“飛騨の匠”の世界を満喫しようというのが、今回の緒形さんの旅の目的です。

 

写真
ご本人も篆刻(てんこく)をしたり焼物好きだったりと、伝統工芸には造詣の深い緒形さん。

 
         
 

仏師・高田さん親子

 さて最初に訪れる職人さんは、仏像彫刻の仏師、高田慈眼さん、慈圓さん親子の工房です。高山といえば一位一刀彫で有名ですが、父・慈眼さんはもともと一刀彫からスタートし、奈良に武者修行に出て仏像彫刻を学んだという方。仏像はもちろん一刀彫というわけにはいかず、幾つもの複雑で微細なパーツに別れています。そのキメ細かさが、あの物腰柔らかい優雅さを生むのですね。
 そして息子さんの慈圓さんは仏像以外に、ちょっとユニークな木彫人形を作っています。これが何ともユーモアたっぷりで、実に癒されるのです。その可愛らしい姿は、ぜひ放送で!

 

写真
慈圓さんと語らう緒形さん。仏像の厳かさと違い、ホッと一息つけるような温かさがあります。

 
         
 

渋草焼

 緒形さんが焼物好きだと聞いて、森ディレクターがぜひ緒形さんに見せたいと思っていたのが、江戸末期の天保年間から160年以上も高山で作り続けられている、渋草焼。高山では、初めは土ものの“陶器”を、磁器の原料・陶石の発見後は、深みのある白い膚(はだ)の“磁器”(石もの)を焼くようになったため、陶器と磁器の技が入り混じり、作風は瀬戸、美濃、有田、九谷などの技法を取り入れた独自のものだといいます。絵付けも手描きの伝統が守られており、白地に藍色、朱色などの絵具で1つ1つ描かれた模様は、気が遠くなるほど繊細で美しいもの。緒形さんも飽きることなく作品に見入っていました。

  写真
この美しく調和の取れた繊細な模様はどのようにして絵付けされるのか?ぜひ番組でご覧ください。

 
         
 

自在手燭

 もう1つ、江戸時代の生活必需品が、高山の職人さんの手で作られ続けています。それは蝋燭を立てる燭台。緒形さんも時代劇ではよく手にしているものだそうですが、滝村幸次さんが作っているのは、“自在手燭”という、ちょっと変わった工夫がしてある燭台です。

  写真
もともと板金職人だったという滝村さん、いつしか“日本古来の明かり”に魅せられ、今は燈籠と燭台一筋だそうです。
写真
これはごくオーソドックスな燭台ですね。滝村さん自慢の“自在手燭”とは、はたして…?
 
         
 

和蝋燭

 燭台には、やはり和蝋燭の明かりが似合うもの。高山で江戸時代のグッドデザイン燭台を手に入れたので、ついでに和蝋燭も・・・という訳で、お隣、飛騨市古川へ向かいます。古川は高山と同じ戦国時代の武将・金森長近が治めた町。そのため碁盤目状の町割や町屋造りの建物が並ぶ雰囲気も高山と良く似ており、落ち着いた佇まいです。ここで220年近く和蝋燭を作り続けているのが、三嶋和蝋燭店。7代目の三嶋順二さんの作業場を拝見します。

 

写真
この時期は寒さが厳しく、蝋が一瞬にして冷え固まるとヒビが入ってしまうので、蝋燭作りは行わず朱の色を付ける作業だけだそうです。

 
         
 

〈雲〉

古川は室町時代から続く“飛騨の匠”として知られる大工の町としても有名で、その数、現在160人あまり。大工のほかに、指物、建具、一位一刀彫りといったさまざまな木工の技術者を含めると、町民の50人に1人が伝統の技に関連した職に就いているといわれているそうです。
古川の町を歩いていると気付くのが、木造建築の軒端に他の町にはない装飾材が取り付けられていること。軒を支える肘木(ひじき)に彫られた木の葉模様や唐草模様で、その模様が雲に似ていることから、地元の人たちは〈雲〉と呼んでいるそうです。雲づくりをしている大工さんの作業場へお邪魔します。


 

写真
古川の町歩きを楽しむ緒形さんです。
写真
雲を彫る大工さんの工房で。古い建物はもちろん、新しい民家にも〈雲〉が施されており、古川に住む人々の伝統を大事にしようという意識の高さを感じます。因みに周囲の景観・雰囲気にそぐわない建物を建ててしまうことを、地元の方々は「相場崩し」と呼ぶそうです。

 
         
 

飛騨の匠文化館

“飛騨の匠”の歴史や技術、珍しい道具類が展示されているのが、「飛騨の匠文化館」。ここは建物自体も古川の匠たちが参加して建てたそうで、外観のアーケードの軒下には、参加した棟梁たちのそれぞれ異なるデザインの〈雲〉が、まるで職人たちの署名のように並んでいます。
 館内では飛騨の匠のさまざまな“こだわりの技”が体験できるコーナーがあるのですが、その1つが「継手(つぎて)」。柱と柱を、釘を使わずに継ぐ方法ですが、その継ぎ目が複雑に入り組んでおり、まるでパズルのよう。緒形さん、うまく外せるでしょうか・・・?


 

写真
飛騨の匠文化館に並んでいるさまざまなデザインの雲。
写真
真剣な眼差しの緒形さん、飛騨の匠と知恵比べです!

 
         
 

桜守・佐藤良二さん

 さて後半は、長良川鉄道で奥美濃・郡上市白鳥町(しろとりちょう)へ向かいます。この町には、かつて“桜守”と呼ばれた元国鉄バスの車掌さん、佐藤良二さんが植えたという桜がたくさん残されています。良二さんは、御母衣(みぼろ)ダムに沈む運命にあった荘川村の桜の老木が、ダムのほとりに移植されて奇跡的に開花したのを見て感動し、自らも「さくら道」を作ろうと、自分の乗務する名古屋と金沢を結ぶバス路線に、昭和41年から11年間、桜を植え続けたといいます。ひるがの高原の「分水嶺公園」にある、良二さんの植えた桜を訪ねます。


 

写真
故 佐藤良二さん
写真
良二さんの植えた桜の木を探す緒形さん

 
         
 

民宿てんご

47歳で病に倒れるまでに、2000本近くの桜を植えたという良二さん。それを陰で支えたのが、妻の八千代さんでした。八千代さんの経営する民宿にお邪魔します。こちらには良二さんが生前書いたという民宿のチラシが残されていますが、その中で良二さんが「ウチの母ちゃん、とんちゃん料理日本一!」と絶賛しているのです。さて、“とんちゃん料理”とはいったいどんな料理なのでしょう・・・?

 

写真
良二さんも絶賛の“とんちゃん料理”、楽しみです!

 
         
 

 旅の最後に、かつての荘川村が沈む御母衣(みぼろ)湖へ。湖畔には、村から引き上げられた樹齢450年の「荘川桜」が、今も堂々と立っています。移植された翌年、昭和36年の春にこの桜が再び開花した時、故郷を離れた村人たちは泣いて喜んだといいます。その姿が良二さんの胸を打ち、「さくら道」の原点となりました。人々に勇気を与えた荘川桜は、今年も冬芽を付けています。今年も春に美しい花を咲かせることを願いつつ、奥美濃を後にします。

  写真  




Copyright(c)TVMANUNION,Inc.,YTV
Allrightsreserved.