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(c)安野 光雅
 

みどころ

 
         
 

戦後64年目の広島は、今年の夏もまた世界中から沢山の人々が訪れる。昭和20年8月6日 世界で始めて原子爆弾が投下された広島は、平和都市として戦争体験のない世代にも平和の尊さを伝える特別な土地となった。今回の遠くへ行きたいでは、そんな「広島」という土地にかつて先人達が築いてきた暮らしや、人々の思いの中に残る「故郷」の記憶を追いかけたい。 

 

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旧猿楽町・旧広島県産業奨励館

原爆の記憶を今に伝える代表的な建物が、平和記念公園内にある「原爆ドーム」である。昔は広島県産業奨励館と呼ばれたこのドームの東隣には、昭和20年8月まで今の地図にはない「猿楽町」という名の町があった。そんな町に幼少の頃暮らしていたという田邊雅章さんにお会いする。幼少時代の遊び場だったという原爆ドームを案内してもらい、当時の暮らしに思いを馳せる。
田邊さんとの出会いは、もともと映像作家であった彼が、10年越しで制作したという再現CGが切掛けだった。当時の猿楽町と隣町にあった細工町の町並みをCGで再現し、人々の暮らしを描いている。彼が映像に残したかったことはなんだったのか、西村さんがお話を伺う。

 

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雁木組(がんぎぐみ)

広島は市内を6本もの川が流れ、昔から「水の都」と呼ばれてきた。
広島市は400年前に毛利輝元が広島城を築いてから、瀬戸内海の海と、川の舟運が城下町の発展を支えてきたと云われている。その名残を残しているのが、干満の差に対応し、水辺に下りていく為に昔から盛んに作られた雁木(がんぎ)という石段である。今も300カ所近く残り、川と寄り添っていた昔の暮らしを垣間見る事ができる。そんな雁木(がんぎ)を利用して始まったのが雁木タクシーという船。雁木を利用して船を乗り降りし、川から雁木巡りをする事ができる。西村も船に乗り、川から雁木巡りに出かける。

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漆工芸 高盛江 金城一国斎

城下町として大きく発展してきた広島には、優れた技を持つ職人も長きに亘って多く住んでいたと云う。現在 広島を代表する伝統工芸品の一つが、漆工芸 高盛絵 金城一国斎である。江戸時代の終わりから、広島に伝わり一子相伝で受け継がれてきた高盛絵は、明治時代には盛んに作られ、海外への贈り物としてもその名を轟かせてきたという。戦時中、仕事のなかった時代から、戦後もここ広島を離れず守り抜かれてきた技に出会う。

 

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被爆樹木

「半世紀は草木も生えない」と云われた広島で、原爆投下後人々に勇気を与えたのが、焼け野原となった土地に再び芽吹いてきた自然の樹木だったという。
今も市内に残る被爆樹木は160本程。その中の一つ、天満小学校の校庭に生えているという木を、樹木医の堀口力さんに案内してもらう。小学校で今も子供達を見守る樹木の治療法や、今後もそういった被爆樹木を保存する意味を伺う。

 

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明子さんのピアノ

今回の旅の一番の目的は、4年前 戦後60年ぶりに音色を奏でたというピアノがあると聞いたからだった。ピアノを愛用していたのは、河本明子さん。
彼女は原爆によって学徒動員の最中に市内で被爆し、翌日19歳で亡くなったという。家族の手元に残ったピアノは大事に保管され続け、2005年に有志の手に渡り、演奏会が開かれるようになった。戦前から河本一家と共に過ごし、原爆を越え今に残ったピアノの音色に西村さんが出会う。そして毎日のようにピアノを弾いていた河本明子さんの時間を振り返りながら、原爆によって奪われたものの大きさ・命の尊さを思う。

 

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昭和20年8月まで広島にあった人々の暮らし、今の時代と変わらない日常の記憶が聞こえてくればと思う。
広島に今も伝わる思いの数々を訪ね、原爆が投下される前まであった先人達の暮らし、そして戦争と関係なく昔からそこにあった「あの夏」の、人々の笑顔を想像できたらと思う。次回の「遠くへ行きたい」どうぞお楽しみに。

 

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