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(c)安野 光雅
 

みどころ

永六輔さんの京都の旅第2弾「笑う京都に!福来る2」のご案内です。7月21日の放送、7年振りということ、パーキンソン病という難病を患っていること、タクシー事故にあったこと等々、それぞれの想いで皆様ご覧頂きました。「意外な元気ぶり」「六輔節健在」…沢山の感想を頂き、有難うございました。

その中で、いつもの視聴者の声と違っていたのは「ラジオのリスナー」からのお手紙の多さでした。永さんはラジオ、新聞、雑誌様々なメディアでの活動がありますが、テレビも創成期から関わりを持っていたこともあり、テレビにも時々出ています。

そして7年振りの「遠くへ行きたい」、前回の放送でも色々な名言を久し振りに聞きましたが一番反響のあった言葉は何だと思いますか?それは…「うまい!」京都祇園の権兵衛の「たまご丼」を前にしての一言です。食べないで、そのおいしさを伝える、さすがの言葉でした。

前置きはこの位にして、第2弾。今回も、永さんからの色々なメッセージが発信されています。詳しくは「みどころ」でどうぞ…

 
         
 

大原の里へ

前回のおさらいに続いて「会いたい人に会う、見たいものを見る僕の京都の旅、第2弾」まずは、大原の里へ足をのばします・・・車椅子を押すのは孫の育乃介くん。行く前から「一度は行かなければいけない土地なんだけど、ここはともかく行くのが恥ずかしい、恥ずかしい…」を連発。何故か?想像して見て下さいますか?ヒントは…大原と言えばある年代以上の方にまず思い浮かぶのが「女ひとり」の唄…まぁ、その時に永さんの照れまくりぶりをご覧ください。ちなみに、育乃介君はこれが永さんの作詞であることを知りませんでした!?

 

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庭師の知恵が詰まった庭園「對流山荘」

「京都の夏はとても暑い、その暑さをしのぐ知恵が日本にはいろいろあります。その一つ、僕が感動した庭、その庭にある仕掛け、庭師の知恵が詰まった南禅寺の近くにある庭園「對流山荘」です」こちらは残念ながら私有地の為、非公開なのですが今回特別に見せて頂くことが出来ました。その知恵とは?ヒントは「水の音」です。

 

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  想い出の場所<河井寛次郎記念館>

「京都の町は、職人の町でもあります。河井寛次郎さんは「使い込んで美しい、そういう職人の仕事を世界に発信しようということに熱心でした」

「河井さんには様々な事を教えて頂きました」という想い出の場所<河井寛次郎記念館>

河井さんは民芸運動の担い手として、無名の職人が作る実用的で美しいものを発掘して、普及させることにとても熱心でした。陶芸家としての仕事をはじめ彫刻、書、随筆などの分野でも活躍、永さんには忘れられない恩師でもあります。

お住まいをそのままに残して記念館として公開されています。職人の世界をふわぁっと感じる空間です。陶芸作品のほかに含蓄ある言葉を書いた色紙も印象的です。例えば…これは番組でご覧下さい。

この場所で土橋ディレクターが「永さんが河井さんから教えられたこと」のほか、「メディアで長年活動してきたこと」「旅番組について」「43年前始めた、遠くへ行きたいでやろうと思ったこと」「ジャーナリズムについて」などの特別インタビューを行いました。今回の旅の中で折に触れ永さんは色々な形でメッセージを伝えてくれましたが、河井さんのお宅でのインタビューは格別なものでした。放送ではほんのさわりしかお伝えできませんでしたから、いずれこのHPで公開させて頂きます。

 

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宵々山コンサート

「人が集まれば、何か始まるから、何かが」「集まることは大事」という言葉通り、永さんは各地で町おこしなどをしている人たちの活動をボランティアで手伝っています。その旅が永さんの旅の一つでもあるのですが、その一番大きなのが「京都で2年前まで30回を重ねた<宵々山コンサート>でした。久し振りに会う仲間たちとの「同窓会」を楽しみました。

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謎のマラソンランナー

番組をご覧になった方は番組の中で南禅寺境内ですれ違うランナーが気になっていたと思いますが、その人は、高石ともやさん、「宵々山コンサート」の仲間でした。

 

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  電波の糸でつながれていたマドンナ

43年前の「遠くへ行きたい」で松江の駅で出会った一人の少女が京都のお茶の老舗の女将となって再会。(43年前の映像はSLが松江駅に入線する懐かしい風景です)。永さんはラジオに投書をくれたリスナーと色々な形で交流してきました。町おこしなどのボランティアもこの形で始まっています。鴨川の河原で交わされた会話は「電波の役割」をふと考えることになった言葉でした。そしてこの言葉が、今回の永さんの7年振りの旅の中で発せられたメッセージとなって京都の旅の終わりです。


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