番組からのお知らせ
番組データ集
ご意見・ご感想
(c)安野 光雅
 

みどころ

 
         
 

今回は番組初登場となる、荒俣宏さんの旅。荒俣さんといえば、本職の博物学者のほか、 図像学研究家、小説家、 収集家、神秘学者、 妖怪評論家、翻訳家、そしてテレビのコメンテーターとしても活躍と、守備範囲が半端ではなく広い方。そんな荒俣先生の旅先が、ご本人たっての希望で佐賀となりました。ナゼ佐賀なのか?実は佐賀県は、有名な吉野ヶ里遺跡をはじめとして、掘ればどこからでも古代人の遺物が出てくるというほど、古代遺産の宝庫なのだそうです。そんな佐賀の人たちの中に、“古代浪漫”は今も息づいているのか?荒俣先生がはるばる確かめに行く旅であります。

 

写真
佐賀に古代伝説を追い求めて…!

 
         
 

田植え

さて最初にやって来たのは、佐賀市から車で小一時間ほど西へ向かった白石町。ここでは今、全国でも一、二を争うほど早く収穫される早稲「七夕こしひかり」の田植えの最中です。荒俣さんも田植え機に乗って、田植えのお手伝い(?)です。しかしなぜ佐賀までやって来て田植えの見学なのでしょうか…?

 

写真
荒俣先生、初めて乗った田植え機に大コーフンです!

 
         
 

徐福伝説

実は今回の荒俣先生の旅の最大の目的は、「徐福伝説」に纏わる場所や人を訪ねること。「徐福」とは、今からおよそ2200年前、秦の始皇帝の命を受けて不老不死の霊薬を探しに日本へやって来たといわれている方士(ほうし=薬剤師、呪術師、祈祷師を兼ねた古代中国の学者)。
 当時の日本は縄文から弥生へと時代が移行する時期でしたが、徐福は中国大陸の先進文化を数多く日本列島にもたらしたと言われています。もしかしたら“稲作文化”もその1つだったかもしれない…そんな希望的観測を抱きつつ、荒俣先生、徐福の遺産探しの旅へ出発です!

  写真
徐福像。中国では実在の人物として研究され、教科書にも記述があるほどよく知られているといいます。

 
         
 

徐福所縁の場所を訪ねて

さて佐賀市内には、徐福伝説と所縁のある場所が大変多く、土地の人々は2200年の時を隔た今も「徐福さん」と呼び、大切にしているといいます。一体どれほど「徐福さん」が佐賀の人々に根付いているのかを確かめに、佐賀市内を巡ってみます。

 
 
         
 

その一) 浮盃(ぶばい)の港

徐福は農業・漁業・製鉄・薬学などの技術者や職人を含む数千人もの人々を連れて、筑後川河口付近の浅瀬に上陸したといいます。

 

写真
船から盃を浮かべ、流れ着いた所から上陸したため付いた地名だとか。

 
         
 

その二) 新北(にきた)神社

創建はおよそ1600年前という新北神社の境内には、ビャクシンという、見るからに曰くありげな古木が立っています。実はこれ、大陸ではよく見られるそうですが日本では大変珍しい品種で、それがナゼここにあるのか…?

 

写真
ビャクシンを大切に守っている新北神社の川浪さん親子にお話を伺います。

 
         
 

その三) 御手洗井戸

さらに町中を歩いていると、「徐福御手洗井戸」と書いた柱を発見。どうやら徐福が掘ったとされる井戸のようですが、覗いてみると、何と普通の民家の1階部分に、井戸の遺跡があるではありませんか!何故、こんなところに…。そして、遺跡の上で暮らすというのは…?

 

写真
大正15年に発見されたという御手洗井戸を前に、感慨深げな荒俣先生。

 
         
 

その四) 徳永飴

そして徐福にまつわる食べ物も、ここでは大切に受け継がれていました。徳永村という所で一羽の鷺を救った村人の優しさに、心打たれた徐福が作り方を教えたと伝えられる「徳永飴」。その徳永飴を作り続けて8代目という江口輝海さんの飴作りを拝見します。

 

写真
水飴を伸ばす江口さん。砂糖など甘味料は一切加えない天然のおいしさで、昔懐かしい千歳飴の味がしました。

 
         
 

古代銭

およそ50年前、徐福にまつわる貴重な物を発見して以来徐福に夢中になり、研究し続けている方もいらっしゃいます。緒方益男さんは、高校生の時に実家の農業を手伝っていて、なんと中国の貴重な古代銭を発見してしまったのだそうです。

 

写真
農作業中の高校生が考古学的発見をしてしまうなんて、まさしく佐賀ならでは!

写真
佐賀平野を前に、緒方さんと古代浪漫を語る荒俣先生です。

 
         
 

不老不死の霊薬探し

そもそも徐福が日本へやって来たのは、始皇帝が望んだ「不老不死の霊薬」を探すのが目的だったと言われています。その霊薬が見付かった場所とされているのが、佐賀市中心から北へ10キロほど行ったところにある、金立(きんりゅう)山。しかし不老不死の薬草なんて、本当にあるのでしょうか!?地元の植物に詳しい倉成さんと、薬学博士の野中さんに連れられて、急斜面の続く金立山を探索です。

 

写真
標高502mの金立山
写真
お2人と一緒に歩いていると、金立山はそこら中薬草だらけなのが分かります。「不老不死の霊薬」も見付かるでしょうか…?

 
         
 

吉野ヶ里遺跡

さて冒頭でも触れましたが、徐福が日本列島へやって来たとされるのは、およそ2200年前。その頃は縄文から弥生へと時代が移行する時期で、まだ“日本”という統一国家の体を成していませんでした。しかしその2200年ほど前に、明らかに大陸からの渡来人があったと思われる発見が、考古学の世界ではなされているのです。それが有名な、吉野ヶ里遺跡。では吉野ヶ里で見付かった渡来人の足跡とはどんなものなのか?果たしてそれは徐福の一行だったのか?古代への夢は掻き立てられるばかりです。

 

写真
吉野ヶ里遺跡
写真
小さい頃から遺跡で遊んでいたという県の遺跡発掘責任者、七田さんに案内していただきます。

 
         
 

お辰観音

佐賀市の中心部に近い金立町・千布(ちふ)。ここでも、地元の人たちに徐福伝説が大切に守られています。それが「お辰観音」。お辰とは、徐福が不老不死薬を探す際に道案内を頼んだ地元の実力者・源蔵の娘。2人はやがて恋に落ちましたが、徐福が東奔西走する間にお辰は病に倒れ、帰らぬ人に・・・。そんなお辰の思いを、村人たちは観音像に込めて、代々大切に守ってきたのだといいます。このお辰観音に花を供え、毎日お水をあげているという近所のお母さん方に出会ったので、お辰と徐福さんについて尋ねてみました。

 

  写真
“おばあちゃんの、そのまたおばあちゃんの代から守っている”というお母さんたちの言葉の端々から、お辰と徐福を大切にする気持ちが感じられました。
 
         
  伝説か・・・事実か・・・。「徐福」を訪ねての、古代ロマン溢れる荒俣先生の九州佐賀の旅。皆さんも一緒に、古の日本を感じてみませんか?   写真  




Copyright(c)TVMANUNION,Inc.,YTV
Allrightsreserved.