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(c)安野 光雅
 

みどころ

 
         
 

今週の放送をもって、昭和45年(1970)10月に放送を開始した「遠くへ行きたい」は40周年を迎えることとなりました。いつも応援してくださっている皆さま、本当にありがとうございます。
さて番組が40年間日本を旅する中で、各地で伝わってきた職人さんの技が“もうこれで無くなってしまうかもしれない”、という話をしばしば耳にすることがありました。そんな中の一つに、渋柿を搾って出来る「柿渋」があります。かつては防水、防腐、防虫剤として和傘、団扇などの和紙製品や漁網に塗られたり、家屋の柱や桶、樽といった木材の防水塗料など様々な用途で使われていました。ところが安価なビニール製品や化学繊維に押されて滅多に使われなくなりました。ところがどっこい、「江戸小紋」や「型染め友禅」、浴衣など、着物づくりの世界ではまだ脈々と生き続けているそうです。ということで40年目の旅は、渋柿の畑から始まります。

 

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旅人は時代劇に数多く出演し、自ら茶道も嗜むなど、着物文化とは縁の深い仁科亜季子さん。

 
         
 

柿渋(岐阜県池田町)

記録的な猛暑のつづくお盆真っ最中の8月15日、野原森夫さんの家族や友人総出で、渋柿の収穫が行われていました。良い柿渋をとるためには、熟す前の青い渋柿でないと駄目なのだそうです。サラリーマンという本業を持つ野原さんにとって、このお盆休みだけが作業に当てられる貴重な時間。まるで戦闘状態のような慌しさです。そんな野原さん一家の作る柿渋が、日本の大切な着物文化を支えているなんて、ちょっとすごいことだと思いませんか?

 

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収穫した渋柿はその日のうちに粉砕し、柿渋を搾ります。
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熟成発酵した柿渋はワインのような色。ここからいろいろな伝統文化が生まれます。

 
         
 

「江戸小紋」と「伊勢型紙」とは…

ところで「江戸小紋」という着物の柄は、細かい文様が彫刻された「型紙」を使って染めていきます。反物に型紙を当て、彫り込まれた文様を染料で写し取るのです。室町時代以前から伝統的に型紙の産地だったのが三重県鈴鹿市の白子(しろこ)。ここで職人さんによって手彫りされた型紙は「伊勢型紙」と呼ばれています。江戸時代には紀州藩によって保護され、ことに大名たちの間で裃(かみしも)の柄として大流行した「小紋」は、江戸をはじめ全国からの注文が白子に集中し、「伊勢型紙」は大変栄えたといいます。旅は伊勢型紙の元、美濃和紙の産地美濃市へ・・・

 

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細かい文様が特徴の「江戸小紋」型紙

 
         
  美濃和紙(岐阜県美濃市)

「伊勢型紙」に使われる和紙は、昔から岐阜の美濃和紙と決まっていたそうです。その理由は美濃和紙が特に丈夫だったということですが、実は型紙に使うためには普通の和紙を漉く時と決定的な違いがあるのだそうです。果たしてどんな技が隠されているのか?型紙用の和紙を漉いて60年の大ベテラン、石原英和さんを訪ねます。

 

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一見普通の和紙と同じに見える、石原さんの紙漉き作業。実は道具に大きな秘密があるのです…

 
         
 

型地紙(三重県鈴鹿市白子)

美濃で漉かれた和紙は木曽川、長良川、揖斐川の「木曽三川」を渡り、いよいよ型紙の産地、三重県鈴鹿市へ向かいます。先述のとおり、鈴鹿市白子は古くから「伊勢型紙」の産地として有名だったところ。しかし型紙は1人の職人の手で作られるわけでなく分業で、まずは彫刻を施すための「型地紙」を作られます。かつて白子には20軒以上の型地紙製造業者があったといいますが、今はわずか3軒。その中の1つ、大杉型紙工業を訪ねます。作業は美濃和紙を3枚貼り合わせるところから始まりますが、その接着に使われるのが柿渋なのです。つまり野原さんの搾った柿渋と、石原さんの漉いた美濃和紙が、ここではじめて1つになるわけですが、接着剤や糊でなく柿渋を使うのは何故なのか?そこにも先人の偉大な知恵が生きています。

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和紙に柿渋を塗り、繊維の方向を縦・横・縦と互い違いに3枚貼り合わせます。
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その後も天日干しと室での燻煙を繰り返し、幾つもの工程を経て型地紙が出来るまで40〜50日。さらに半年から1年寝かせてようやく出荷といいますから、大変な手間がかかります。
 
         
 

伊勢型紙 彫師(三重県鈴鹿市白子)

出来上がった型地紙は彫師さんへと届けられ、文様によって「錐彫り」「縞彫り」「道具彫り」「突彫り」と4つの技法で、細かな彫刻が施されます。それぞれの職人さんは自分の専門技法を定め、それ以外の技を手掛けることはないそうです。4つの技法を代表する4人の職人さんに、伝統の技を見せていただきました。

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小さな点々を連続して彫っていくことで模様が構成される「錐彫り」。伊勢型紙保存会会長の六谷泰英さんです。

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気が遠くなりそうな穴の数。1つでも穴が狂えば、文様の辻褄が合わなくなります。しかも12〜13mある反物を染めるのに、1枚の型紙を90回以上ずらしながら染めていくので、型紙の右端と左端の文様がピタリと合わなければなりません。
 
         
 

相撲幟(岐阜県岐阜市)

実は型地紙を、まったく別の方法で使っている伝統工芸が、岐阜市にありました。それは、相撲幟。両国の国技館や地方場所の会場の外にはためいている、色鮮やかな幟、実は7割以上は岐阜市にある吉田旗店で作られているのだそうです。江戸時代から変わらず伝統の手仕事で1枚1枚幟を染める吉田さんの工場。まず文字を防染糊で縁取り、その内側を染料で染めていきます。はたして型地紙はどこでどんな役割を果たしているのでしょうか?

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相撲幟に使われる文字は「相撲文字」と呼ばれ、型やお手本は一切ないので父から子への口伝。文字の大きさや形、染める色など、聞けばなるほどの約束事がいっぱいあって面白いですよ。
 
         
 

江戸小紋(東京都八王子市)

岐阜県の渋柿畑から始まった旅は、いよいよ終着点の染屋さんを訪ねて東京・八王子へ。伊勢型紙を使って反物を染める、江戸小紋の染工場を訪ねます。まずは反物に型紙をあて、防染糊をのせる「型付け」作業。型紙の彫り抜かれた部分だけ文様が生地に型付けされる、「染め」の最も重要な部分です。この後さらにその上から染料をのせると、糊のついていない生地の部分に着色されるため、糊がきれいにのっていないと染料もきれいに着色されないというわけです。

 

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12〜13mある反物を染めるためには、1枚の型紙を90回以上ずらしながら糊をのせていきますが、難しいのはそのつなぎ目。文様がずれないように型紙を合わせ、しかも小紋の細かい穴が潰れないように糊をのせるのは至難の技。
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遠くから見ると無地に見え、近くに寄ると文様が見えるというのが粋な江戸小紋の真骨頂なのだそうです。ハイビジョンで見るとその文様までクッキリ。職人さんたちの驚異の技の結晶をお楽しみください。
 
         
 

渋柿の畑から始まって、染め小紋の着物までたどり着く今回の旅。どの職人さんの仕事がなくなっても、江戸小紋の着物は着られなくなってしまうわけですが、そんな心配はなさそうです。どの職人さんもご自分の技術と仕事に信念を持ち、自分の仕事だけでなく道具や材料を作る周辺の職人さんのことも気に掛けながら、全体の流れとして一つの技術を守ろうとしているのが印象的でした。先人たちの知恵がたくさん詰まった着物文化の世界をお楽しみに。

 

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